choke on it and die

The Cardigansの曲の一部から取りました。死にたくなる時によく聴きます。

二十四、二十五

先日修了式を終え、令和5年度を締め括ろうとしている。この1年は本当にセンセーショナルだった。思い返すこと1年前。わりかし幸せハッピーだった2年担任の1年を終え、お昼を食べた後校長室に呼び出されて突きつけられた「1年生担任をお願いします。ただ、本来3クラスだったはずなんだけど、教員不足が深刻故、2クラスにするね。33人学級になります。」という現実に、がっかりしたのを今でも忘れられない。

ただでさえ引き継ぎだけでもしんどそうなメンツなのに、30人超え?あり得ない!と思いながらその日の送別会で伊王島に行き、司会だったために全くご飯を食べられずにキレながら帰った。

あれから1年。本当に酷い毎日だった。まず、入学式で大泣きする奴。登校するたびに「家に帰る‼️」と言って大泣きする奴。道を歩けば無意識に人を殴る奴。給食を全く食わない奴。話が右から左に抜ける奴。「竹下先生に怒られるのが怖いから学校に行きたくないって言ってます。」とかいう奴。学校教育とは?と多々思った。

学担だけでもしんどいのに、土曜日の部活もあって、本当に心が折れそうだった。でも、なんとかやってこれた。何故なら、これが最後の一年だと思っていたから。

この学校を出るためには離島に希望を出すしかないと思い、親にも相談し、覚悟を決めて異動希望を出した。12月の校長面談では、「新卒3年目だし、島に行きたい20代の人あんまりいないから、行けそうだよ。」と言われたのに、のに。

3月中旬の人事異動内示、卒業式の前準備日、そわそわしながらトイレ掃除を監視してた。

まだかなまだかなと思っていた矢先、校長先生からの「これで個別の発表を終わります」の校内放送で泣き崩れ、他の先生たちの異動の発表も聞かず、先輩から「校長先生が話そうって言ってるよ」って言われても「話したくありません!!!!!!」と断り、無理矢理引き摺り出され、人事の結果の詳細を言われるも、「私は!!!!!!五島に行きたかったわけではなくて諏訪が嫌なんです!!!!!!」と叫び取り乱したんですが。挙句、おばさま先生方から「竹下先生は残留で安心しました!」とかいう空気読めないことを言われ、やっぱり教員という職に就く人って、所詮他人事って思ってるんだなあって痛感した。

あんまり学校で泣いたことないんだけど、本当にあの日は苦しくて、死にたくなって、どうしようもなかった。またこの学校で、苦しい1年を過ごさねばならんのかと。

ま、ということで、言わないもん負けになりたくなかったから、校長先生と教頭先生にはかなり強気で「申し訳ないですけど、来年異動じゃなかったら辞めます。これが本当に最後の一年だと思ってるので。部活を持たされるんだったら、学級担任はできません。」と言ってみた。そしたら、意外とすんなり通って、4月からは担任を持たなくて良くなった。言ってみるもんだな。

あれだけなりたくなかった教員になってもうすぐ4年目になる。毎回言うけど、全くオススメできない職。

ただ、毎日泣きながら「帰る!」といって登校していた奴は最後の学活で「あー、2年生でも竹下先生のクラスがいいなー」と言っていたのは面白かった。前日、給食のオレンジを食べたくないとゴネたので、私から泣くまでキレられたのにね。物好きもいる。